番外編:鯱狗様への手紙

コメント欄で長々と語るのはメンドクサイんで番外編として記事にします。この記事もわかるか、わからないかは感性に由来します。わかる人だけわかってください。

 

20世紀において人間が直面した大きな課題があります。それは、『神亡き世界で人間はいかにして救われるのか?』です。

ファシズムスターリニズムも本質的には同じです。両者とも『神亡き世界における救済運動』と言えます。

鯱狗様は事あるごとに『暴力』といいますが、あなたの言う暴力に政治的意味はありませんし、もちろん他者を傷つけるという意味でもありません。

端的にいいましょう、あなたの言う暴力は自傷行為です。あなたは暴力をいいながら、自分を傷つけていると思います。

 

私が見るに、あなたは『救済』を強く求めています。キリスト教的に言い換えてみます。あなたは『神から罰せられたいと望む迷える子羊』となるでしょう。あなたの言う暴力は『神に代わって自らを罰する自傷行為』です。

鯱狗様はファシズムを20世紀における政治運動だと解釈しておられますが、それはファシズムにある要素の一面に過ぎません。僕はファシズムを『神亡き世界の救済活動』のひとつだと捉えています。すべての所属から引き剥がされた脆弱な存在としての人間が神亡き世界でいかに救われるか?その発露のひとつがファシズムだと思います。

あなたがファシズムに強く惹かれるのは、それが救済活動だからです。あなたは政治運動としてのファシズムに惹かれておりません。

あなたは色々とおっしゃっている。ぶっちゃけた話、それはあなたという存在の『脆弱さ』の表明です。あなたは自分の救われない脆弱さを無視することもできなければ解決することもできない状態にあります。あなたは自分の『救われなさ』を前にして戸惑ってばかりの迷える子羊です。

あなたは血を語り、自由意志を語る。しかし、あなたは気が付いています。神の前に人間は無です。救いを求める迷える子羊はすべてを神に捧げます。あなたの持つ血も肉も、そして迷える魂も、すべて捧げて神に強く救済を求めるべきです。『神よ、私をお救い下さい!』と叫ばなくてはなりません。

しかし、この世界に神はいません。あなたは恐らくすべての所属から引き剥がされた脆弱な存在なのでしょう。つまり、あなたは『神亡き世界に生き、救済を望む迷える者』です。

 

あなたはまず『私をお救い下さい』と叫ばなくてはなりません。そして、世界と直接つながらなければなりません。あなたは人間が本質的に『無』と知りながらも、それを受け入れられない迷える者なのでしょう。もし、あなたが救われたいと望むならば、人間の営為の外側にある『力』に触れなけばなりません。そして、叫ばなくてはなりません、私をお救い下さいと。

『人間の無』に気が付きながら救済を望む人間が『救われる』ためにいかにすべきか?

これは今なお解決されていません。

なので、私が言えるのは、救済を望む者はまず救済を強く望まなければならないということです。『私をお救い下さい』と叫ぶんです。そこからあなたは始まると思います。

 

僕から言わせれば、あなたはファシストとして始まってもいません。まずは認めるべきではないでしょうか?自分の弱さと救済を望む自分を受け入れるべきです。そこからようやくファシストとしてのあなたが始まると思います。